いつもどおりのまま
2006.08.30 Wednesday
お別れが近づくと悲しいはずなのに
なんでだろ?今日は泣けないや
3年半 悩んで悩んで
やっと決めた答え もう振り向かない
僕は何も変わらない
信じ続けるものはひとつ
人は反対し続けようと
僕は自分を信じ
見えた道を歩く
勢いでも勝手でも、ないさ。
決めた道を歩く
ただ、それだけ
未来は正直分からない
やってみるしかないんだ
「飛び込め、現在に。」
明日やずっとその先のコトなんて
考えなくていいさ。想い描くだけでいい
「今。」を楽しめ。
そして、笑顔で。
笑って過ごせる場所に、決めました。
これからの方が大変なのは
十分、分かっている。
それでもいくさ、未来に。
自分でも分からないけれど
何かが待ってるような気がするんだ
楽じゃなくても
楽しい道を。
僕は僕のままで。
いつもどおりのまま
いつもどおりの、ままさ。
------------------------------------------------------
2006年8月、僕はひとつの決断をしました。
今の会社を辞めて、実家の帽子屋を継ぐために
勉強をするということです。
いろんな人が反対をしました。
でも僕は、そんな考え、全部心の中を通してきました。
社会に入って3年間、いや、もう小学生の頃から、
「いつかは実家に帰るんだろうなぁ」なんて
思ってずっと胸のどこかにあったのが「帽子屋」だったんです。
でもずっと、反抗してきました。
家が店だと、休日がなくて家族団らんがなくて。
どこにも遊びに行けなくて。不満に思う時も。
友達を家に呼んで遊ぶこともできなくて。
「絶対に1件屋に住んで普通の暮らしをするんだ」
と思って、
大学にも行き、ひとり暮らしを始め、
一部上場企業に就職したんです。
でもね。
高校普通科・進学校に進んだのも。
経営学科の大学に進んだのも。
スポーツ専門店だけれど小売業に進んだのも。
大学の卒業論文テーマは「商店街活性化」でした。
みんな、実家帽子屋につながる道だったんですね。
どこかにずっと想いがあって、
いつの間にか将来を考えた道に進んでいたんです。
小4の「成長」という学年アルバム(文集)には
「将来働くところはやっぱり帽子屋だよな。」
って書いていました。
今年の1月に。退社を決意して。
そこから帽子屋を受けたりしてました。
親にも話しました。
そして考えた結果、もう一度、今の会社で頑張ろうと思い、
ここまでやってきたんです。
そしてこの夏。
人生を決める答えを、出しました。
考えた期間が長いからといって、
それが最良の決断かというと、そうは言えないと思います。
一瞬で決めたからといって、
それが間違っているとも、いい切れません。
最後は本人が決めるのだから、誰も文句はいえない。
それが人生なのだと、思います。
2年目から東大阪の店舗でお世話になって。
本当に本当に、迷惑をかけました。
仕事のできない僕に優しく教えてくれた人たち。
間違っているとズバッと指摘してくれた人たち。
真剣に「もっと力を抜け」と怒ってくれた人たち。
坊ちゃん坊ちゃんと可愛がってくれた人たち。
忘れません。本当にありがとう。
自慢ではないけれど、いろんな人の心に残る存在に
いつの間にかなっていたんだなぁと実感しました。
いろんな人と話をして。
何気ない会話でも、ひとつの小さな行動でも。
人は見てくれているものなのですね。
3年半しかいなかったけれど、自分のスタイルは間違って
いなかったのだなぁと思いました。
そして思いが伝わっていたのは、本当に嬉しいし、
これからの自信にもなります。
おじいちゃんが始めた帽子屋。
ひとりで縫製をして、ひとりで帽子を作って。
おばあちゃんと二人で。
創業57年になる、老舗です。
いろんな方法が、この小売業にはあるのだけれど。
僕は目の前でこの建物が、帽子屋が、
つぶれるなんて、絶対にイヤだった。
この土地で、故郷で、やっぱり頑張りたい。
強くそう思うようになりました。
お盆にお墓参りに行って、
天国のおじいちゃんに報告してきました。
「おじいちゃん、やっぱり帽子屋やるよ。」
おじいちゃんがいたら、
喜ぶよりも反対するのかなぁ?
そんなことも思ったりします。
僕はおじいちゃんが帽子を縫う姿は
ほとんど覚えていないけれど、
そんな見えない心に残るものを、
追いかけようと思います。
みててよ、おじいちゃん。
なぜ今なのか?
その問いに対する答えは、コトバでは言い表せません。
だけど「今」だと、僕は思いました。
毎日笑顔で働きたい。
そのひとことです。
25歳、ここから新たな道のスタートです☆
2006.8.19
19(ジューク)「いつもどおりのまま」とmush
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なんでだろ?今日は泣けないや
3年半 悩んで悩んで
やっと決めた答え もう振り向かない
僕は何も変わらない
信じ続けるものはひとつ
人は反対し続けようと
僕は自分を信じ
見えた道を歩く
勢いでも勝手でも、ないさ。
決めた道を歩く
ただ、それだけ
未来は正直分からない
やってみるしかないんだ
「飛び込め、現在に。」
明日やずっとその先のコトなんて
考えなくていいさ。想い描くだけでいい
「今。」を楽しめ。
そして、笑顔で。
笑って過ごせる場所に、決めました。
これからの方が大変なのは
十分、分かっている。
それでもいくさ、未来に。
自分でも分からないけれど
何かが待ってるような気がするんだ
楽じゃなくても
楽しい道を。
僕は僕のままで。
いつもどおりのまま
いつもどおりの、ままさ。
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2006年8月、僕はひとつの決断をしました。
今の会社を辞めて、実家の帽子屋を継ぐために
勉強をするということです。
いろんな人が反対をしました。
でも僕は、そんな考え、全部心の中を通してきました。
社会に入って3年間、いや、もう小学生の頃から、
「いつかは実家に帰るんだろうなぁ」なんて
思ってずっと胸のどこかにあったのが「帽子屋」だったんです。
でもずっと、反抗してきました。
家が店だと、休日がなくて家族団らんがなくて。
どこにも遊びに行けなくて。不満に思う時も。
友達を家に呼んで遊ぶこともできなくて。
「絶対に1件屋に住んで普通の暮らしをするんだ」
と思って、
大学にも行き、ひとり暮らしを始め、
一部上場企業に就職したんです。
でもね。
高校普通科・進学校に進んだのも。
経営学科の大学に進んだのも。
スポーツ専門店だけれど小売業に進んだのも。
大学の卒業論文テーマは「商店街活性化」でした。
みんな、実家帽子屋につながる道だったんですね。
どこかにずっと想いがあって、
いつの間にか将来を考えた道に進んでいたんです。
小4の「成長」という学年アルバム(文集)には
「将来働くところはやっぱり帽子屋だよな。」
って書いていました。
今年の1月に。退社を決意して。
そこから帽子屋を受けたりしてました。
親にも話しました。
そして考えた結果、もう一度、今の会社で頑張ろうと思い、
ここまでやってきたんです。
そしてこの夏。
人生を決める答えを、出しました。
考えた期間が長いからといって、
それが最良の決断かというと、そうは言えないと思います。
一瞬で決めたからといって、
それが間違っているとも、いい切れません。
最後は本人が決めるのだから、誰も文句はいえない。
それが人生なのだと、思います。
2年目から東大阪の店舗でお世話になって。
本当に本当に、迷惑をかけました。
仕事のできない僕に優しく教えてくれた人たち。
間違っているとズバッと指摘してくれた人たち。
真剣に「もっと力を抜け」と怒ってくれた人たち。
坊ちゃん坊ちゃんと可愛がってくれた人たち。
忘れません。本当にありがとう。
自慢ではないけれど、いろんな人の心に残る存在に
いつの間にかなっていたんだなぁと実感しました。
いろんな人と話をして。
何気ない会話でも、ひとつの小さな行動でも。
人は見てくれているものなのですね。
3年半しかいなかったけれど、自分のスタイルは間違って
いなかったのだなぁと思いました。
そして思いが伝わっていたのは、本当に嬉しいし、
これからの自信にもなります。
おじいちゃんが始めた帽子屋。
ひとりで縫製をして、ひとりで帽子を作って。
おばあちゃんと二人で。
創業57年になる、老舗です。
いろんな方法が、この小売業にはあるのだけれど。
僕は目の前でこの建物が、帽子屋が、
つぶれるなんて、絶対にイヤだった。
この土地で、故郷で、やっぱり頑張りたい。
強くそう思うようになりました。
お盆にお墓参りに行って、
天国のおじいちゃんに報告してきました。
「おじいちゃん、やっぱり帽子屋やるよ。」
おじいちゃんがいたら、
喜ぶよりも反対するのかなぁ?
そんなことも思ったりします。
僕はおじいちゃんが帽子を縫う姿は
ほとんど覚えていないけれど、
そんな見えない心に残るものを、
追いかけようと思います。
みててよ、おじいちゃん。
なぜ今なのか?
その問いに対する答えは、コトバでは言い表せません。
だけど「今」だと、僕は思いました。
毎日笑顔で働きたい。
そのひとことです。
25歳、ここから新たな道のスタートです☆
2006.8.19
19(ジューク)「いつもどおりのまま」とmush
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